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大阪高等裁判所 昭和60年(う)98号 判決

被告人 上野顯二

昭一〇・五・二〇生 無職(元地方公務員)

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人仁藤一、同薮口隆連名作成の控訴趣意書(ただし、控訴趣意第二点事実誤認の事実には控訴趣意第一点中の二の1の事実のみならず2の事実も含まれるものであると釈明した。)及び控訴趣意補充書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(法令の適用の誤の主張)について

論旨は、原判決は、被告人上野が泉大津市長公室次長又は港湾対策事務所長として、「大阪府を港湾管理者とする境泉北港の港湾中、泉大津市域内に所在する岸壁、上屋、上屋敷(荷さばき地)附属用地等港湾施設の管理運用、同施設の使用許可等に関し、同施設を使用しようとする港湾関係業者に対し、指導助言するとともに、同府土木部港湾課、その出先機関である堺港湾事務所に対し、意見具申等を行う職務を掌理していた。」としたうえ、右意見具申等の行為は、「被告人上野の市長公室次長又は港湾対策事務所長としての職務に、密接な関係のある行為というべきである。」とし、被告人上野が原判示第一の一ないし六の各金員を収受したのは、被告人上野の職務に関する賄賂の収受に該当するとして、刑法一九七条一項前段を適用した。しかしながら、被告人上野には、前記港湾施設の管理運用、使用許可等について、港湾管理者たる大阪府に対し意見具申等を行う職務権限があつたということはできず、被告人上野が原判示第一の一ないし六の各金員を収受した行為は、同人の職務に関しなされたものといえないのみならず、職務に密接に関連したものともいうことはできない。したがつて、刑法一九七条一項前段の適用を肯定した原判決は、法令の適用を誤つた結果、前示各所為につき収賄罪の成立を肯定し、有罪の判決をしたものであり、判決に影響を及ぼすべき明白な違法がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ検討するのに、原審及び当審で取り調べた証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  泉大津市市長公室は、港湾等の関係については、泉大津市域内の臨港地区の整備促進に関する事務を分掌し(泉大津市事務分掌条例二条)、同市長公室内の港湾対策事務所は、港湾及び臨海開発の整備促進とその対策に関すること、臨海地区の関係機関との連絡調整に関すること、その他港及び臨海開発に関すること等の事務を分掌し(泉大津市事務分掌規則四条)、被告人は昭和四六年一〇月七日から昭和五六年四月一三日までの間は、右市長公室内港湾対策事務所長として上司の命を受けて右港湾対策事務所所管の事務を掌理し、所属職員を指揮監督する職にあり、また、昭和五六年四月一四日から昭和五八年一二月二五日までの間は、右港湾対策事務所を指揮監督する立場にある右市長公室次長として、前記市長公室所管の事務を掌理し、所属の右港湾対策事務所の所管事務についてもこれを掌理して指揮監督する職にあつたこと、

(二)  大阪府下の堺、高石、泉大津の三市にまたがる堺泉北港は、特定重要港湾で、大阪府がこれを管理し、同港の港湾施設を使用しようとする者や、港湾施設に工作物等を設置し、改築し、移転し、除去しようとする者は、いずれも大阪府知事の許可を受けなければならないが、右府知事の許可権限は、一部のものについては、あらかじめ府知事の承認(その事務は大阪府土木部港湾課が取り扱う。)を要するほかは、大阪府堺港湾事務所長に委任されており、同事務所港営課が右許可事務を取り扱い、民間上屋の建設者の選定、決定の事務は大阪府土木部港湾課がこれを取り扱つていたこと、

(三)  したがつて、泉大津市としては、堺泉北港の整備、振興策如何が、同市の発展、税収入の増大など重大な利害関係を有するところから、港湾管理者である大阪府とのパイプ役を果し、堺泉北港と既存の地元商工業を有機的に結びつけるために、同市域内の公有水面埋立に際し、昭和四四年九月一九日埋立免許権者である大阪府知事左藤義詮の泉大津市議会に対する公有水面埋立法三条(昭和四八年九月二〇日法律八四号による改正前のもの)による諮問に対しては、同年一二月一五日泉大津市議会議長幅野福松名をもつて、汐見埠頭につき、埋立には異議はないが、要望事項の10として、地元意見の反映についてと題し、「本公共埠頭建設に際しては、地元意見を尊重するべく、建設途上においても諸般の実情、問題点について逐一報告すると共に意見を求め、その意見を尊重されたい。」との要望をし、また、堺泉北港内公有水面埋立(泉北六区、助松埠頭)免許について、昭和四七年九月六日付をもつてなされた埋立免許権者である大阪府知事黒田了一からの諮問に対し、泉大津市長茶谷徳松は同年一一月四日付で、また、泉大津市議会議長河内修一は同月二日付で、それぞれ、埋立には同意するが、要望事項中の五として「港湾区域における企業誘致と港湾業者の張りつけについては、その都度事前に本市と協議されたい。なお、管理運営上本市としても重要と考えられる事項についても、その都度協議されたい。」との要望をし、このような事情を背景として、泉大津市では、開港当初から、泉大津市域内の港湾施設の使用等について、使用許可権限を有する府知事ないし堺港湾事務所長に対し、いかなる港湾関係業者が適当か、同市の立場からの意見具申や要望をしてきており、他方、大阪府においても、上屋審査会で右使用許可等の審査をするに際して、関係市町村や関係業者の出席のもとにヒヤリングを実施したり、適宜の方法で事実上、泉大津市の意見を聴取してきたこと、

(四)  本件各事実に関しては、

(1)  大阪市内の業者である株式会社酒井組の代表取締役酒井榮治郎は、鋼材等の保管場所として、泉大津市内の港湾施設を借り受けたいと考え、同市内の同業者である株式会社土田組の専務取締役松永信義に相談のうえ、同人と共に被告人を訪ね、被告人に対し、同市内の港湾施設(上屋敷)を酒井組の鋼材(橋梁)荷さばき地として借地できるように尽力願いたい旨依頼したところ、被告人は、右松永らと相談の上、泉大津市域外の業者である酒井組の名義で借りるのはむつかしいので、土田組が借入名義人になつて、酒井組が土田組と仕事の上で提携しているという形態にして、その線で話を進めることとし、昭和五五年五月上旬ころ、大阪府堺港湾事務所の酒井純一港営課長に電話して、「土田組が橋梁の荷さばき地として助松埠頭の上屋敷を借りたいと言つて来ているので、よろしく頼む。荷さばき用地は酒井組が使いたいということであるが、この会社は栗本鉄工所の専属荷役業者でしつかりしており、泉大津市としても何ら異存のない会社であるので、(傍点は当裁判所において付したもの。以下同じ。)、よろしくお願いしたい。」旨依頼し、その後も同課長に対し「土田組と酒井組とのジヨイントで借入れを申し入れている件よろしく頼む。」旨依頼して、泉大津市としての意見具申をし、同課長としては、地元泉大津市における港湾行政の第一人者である被告人からの意見要望でもあり、右の間に前記松永、酒井榮治郎の両名が借地申入れの件で挨拶に来た際に、同人らに対し、「泉大津市はどう言つているか。」とたずねていたこともあつたので、被告人に対し、「その話はすでに業者の方からも申入れが来ており、よく分つている。地元泉大津市がそのような考えであれば、何とか配慮する。」旨の言質を与えた。以上のような経過で株式会社土田組に対し、いわゆる実態は名義貸しであつたにもかかわらず、昭和五五年五月三〇日助松埠頭上屋敷の使用面積一二、七〇三平方米、使用期間昭和五五年六月一日から同年六月三〇日まで(なお、土田組は昭和五六年九月三〇日返却し、その後は現実に使用していた株式会社酒井組名義で昭和五六年一〇月一日より使用許可)ということで使用許可がおり、期間更新は形式的になされていたので、その際に被告人が上屋審査会に特段の意見伝達をした事跡は認められないこと、(以上、原判示第一の一関係)

(2)  その後、昭和五六年八月以降、酒井組は自己名義で水道用鋳鉄管置場等として、(イ)許可年月日昭和五六年八月一日汐見埠頭上屋敷九、〇一九平方メートル、(ロ)同昭和五六年一〇月一日助松埠頭上屋敷一万二、七〇三平方メートル、(ハ)同昭和五七年二月一日汐見埠頭上屋敷一、八二〇平方メートル、(ニ)同昭和五七年四月一五日汐見埠頭上屋敷三、三〇〇平方メートル、(ホ)同昭和五七年六月一日汐見埠頭上屋敷三、三二二平方メートル、(ヘ)同昭和五七年六月一日汐見埠頭上屋敷三、六一八平方メートル、(ト)同昭和五七年七月三〇日汐見埠頭附属用地三、三七五平方メートル、(チ)同昭和五七年一〇月一日助松埠頭附属用地三、三七五平方メートル、(リ)同昭和五七年一二月一日助松埠頭附属用地六、七五〇平方メートル等を借地したが、いずれの場合も、株式会社酒井組取締役営業部長今岡隆則が泉大津市市長公室へ来て、市長公室次長である被告人に対し、これこれの製品の置場としてどこそこの土地を貸して欲しいがと言つて相談するので、その内容に応じて被告人は「そこならよいだろう。」「そこよりここの方が借りやすい。」などと助言したうえ、堺港湾事務所の港営課長や係長に対し、電話あるいは直接出向いたりして「泉大津市としては良いと思つているから酒井組に貸してやつてくれ。」と意見具申をしていたこと、なお、右(イ)(ロ)の許可の前には、被告人としては、酒井組が実績を上げて来ていると判断し、土田組名義ではなく、酒井組名義で貸してやつてくれと堺港湾事務所に意見を述べており、その結果、酒井組名義の借入れが次々と実現していつたものであること、また、右(チ)(リ)の用地は陸上貨物の置場として使用されたが、港湾施設であるから、それは不適当なので、昭和五七年九月ごろ、今岡が被告人に対し「栗本鉄工所から注文が来て、陸上貨物の鋳鉄管の置場が必要になつたので、何とかならんだろうか。借入れできるようにお願いします。」と言つて来たので、被告人は、建て前は建て前として、助松埠頭の附属用地は空いているので何とかしてやろうと考え、直ちに今岡を連れて堺港湾事務所に赴き、大門喜八郎港営課長に「陸上貨物だが、酒井組のために助松埠頭の空地を貸してやつてくれ。」と頼んだところ、大門港営課長は「海上貨物ならともかく、陸上貨物なら許可できん。」などと言うので、被告人は、「海上貨物が一杯になるまでということで貸してやつたら良いやないか。空地を遊ばしておくのなら、その方が良いやないか。泉大津市としても空地のままで置いとくより、その方が良いと思う。」旨意見を述べると、「何とか考える。」と言つてくれ、結局、被告人の意見、要望どおり借地は許可されたこと、(以上、原判示第一の二関係)

(3)  昭和五八年二月上旬ころ、被告人は堺港湾事務所の大門港営課長に電話して「今、片山鉄工所が使つている助松埠頭の土地が返却されたら、酒井組に貸してやつてくれ、橋梁の組立てに使用するが、組立てそのものは駒井鉄工所や住金海運がやるようだ。泉大津市としては酒井組であれば、問題はないと考えている。」旨述べ、その数日後、被告人は泉大津市役所に酒井組の今岡営業部長、駒井鉄工所、住金海運の関係者を呼び、これらの者とともに堺港湾事務所へ赴き、これらの者を大門港営課長や望月港営係長らに紹介したうえ、大門課長らに「問題はないと思うので、酒井組に貸してやつてくれ。」と依頼し、同年三月四日開催された大阪湾岸線架橋組立作業打合せと称するヒヤリングには、駒井鉄工所、酒井組、住金海運とともに泉大津市からは港湾対策事務所長心得白銀信和が出席しているが、白銀は右出席に際して被告人から「所用があるので出席してくれ。泉大津市の立場は酒井組が使用する場合の輸送上の救急体制の確立や現場と関係官公署との連絡系統の徹底等について、二月一〇日に今岡営業部長と住金海運関係者に対して指導した条件が満たされておれば、泉大津市としては異存がない。」旨発言するよう指示を受け、ヒヤリングの席上その旨発言したこと、同年三月下旬、白銀は大阪府堺港湾事務所望月正夫埠頭係長から電話で「四月四日に第二回目の事前協議を開くので、泉大津市から出席して下さい。」との連絡を受け、被告人にその旨を連絡して了承を得たが、同日、泉大津港湾振興会の昭和五七年度の会計監査が行なわれるため、同会事務局長の被告人も同会の事務を担当していた白銀も右事前協議に出席ができないので、被告人は白銀に対し、堺港湾事務所に、当日は出席できないこと、前回同様、救急体制の確立や現場と関係官公署との連携が充分であれば、泉大津市としては異存はないことを連絡するように指示し、白銀は右指示を直ちに望月埠頭係長に電話連絡したこと、以上の経過から酒井組の昭和五八年四月二八日付助松埠頭附属用地についての使用許可申請に対し、同年七月一日堺港湾事務所長から使用許可がおりたこと、もつとも、酒井組は港湾運送事業法四条に規定される免許のうち四種限定を取得し、港湾荷役作業にあつては、栗本鉄工株式会社との契約に基づくものに限るとされていたのであるから、右許可は違法(大阪府港湾施設条例三条違反)か、少なくとも相当ではないのであるが、堺港湾事務所港営課長大門喜八郎は地元泉大津市の市長公室次長である被告人の意見要望に押されたものであること、(以上、原判示第一の三関係)

(4)  南部スラグ販売組合(以下販売組合という。)は、いずれもスラグ販売業を営む田中興業株式会社、扶和産業株式会社、辰巳守株式会社、株式会社滝口砂利商店で組織されているが、法人登記はなされておらず、何らの実体もなく、港湾施設の使用許可を受けるため、便宜的につくられたものであるが、扶和産業株式会社では、昭和五五年に入つてからスラグ備蓄用の置場を捜すようになり、田中興業株式会社泉大津出張所長岡部昇にその旨依頼し、岡部は汐見埠頭附属用地が本来福利厚生施設用地である修景厚生港区(港湾法三九条一項九号、四〇条、四〇条の二、四一条、臨港地区内の分区における構築物の規則に関する大阪府条例)であるのにかかわらず、扶和産業株式会社のため田中興業株式会社名義で借地してやろうと考え、その旨被告人に依頼したこと、前記四社は昭和五四年四月一一日設立、同月一六日登記された堺泉北港湾砂利石材協同組合の組合員であり、同組合は小松埠頭(泉北五区)のマイナス四メートル物揚場及び同背後上屋敷ないし六号物揚場を建材置場に使用していたが、昭和五一年以降公害問題が発生し、苦情が出て来たので、汐見埠頭(泉北七区)に移転する問題が発生し、これに関し堺港湾事務所から被告人に意見を求めたり、昭和五四年五月一二日被告人らも出席して協議会も開催された。被告人は泉大津市の意見として「今回の場所の指定の前に地元市に対して説明すべきだ。港湾関係業者から総スカンをくつている砂利業者の問題を先に説明すべきだ。汐見埠頭への砂利置場設置については現時点では反対だ。」という意見を出し、同月一七日、被告人は酒井港営課長、関塚泉北出張所長に対し前回同様の意見表明をした。その間、前記石材協同組合が結成され、さらに同年五月一二日、同月一七日、同年一二月一七日、被告人らも出席して堺港湾事務所による砂利置場地元市説明会が開催され、被告人は「港湾管理者として港湾計画上汐見埠頭に決定されることについては、我々として口は出せないが、計画上修景厚生港区に隣接する地区であり、はつきりとした計画を樹立して欲しい。」などという意見に転換し、その結果、昭和五五年一〇月六日前記石材協同組合に対し汐見埠頭(七区)二号物揚場背後上屋敷二万六、〇六七・三四九平方メートルの使用が許可された。ところが、同年三月上旬ごろ、被告人は島昭堺港湾事務所長に会い、同所長に対し、「鉱滓組合から鉱滓置場を確保したいとの陳情が知事に出ているがどの程度の面積なら可能ですか。」とスラグ問題を出したのに対し、同所長は「附属用地を貸してくれという鉱滓組合の陳情も聞いているが、附属用地は修景厚生港区そのものであり、ここの使用は法的にむつかしい。この点は堺港湾事務所だけで勝手にできないし、港湾課の同意も必要であり、同課とよく打合せをして、後日砂利石材組合の中上さんを通じて返答する。」旨答えた。被告人は、「岡部、つまり田中土建(田中興業株式会社と実態は同一である。)なら地元の振興会にも入つているし、鉱滓組合の方で何とかしてもらえれば、ややこしい業者や具合の悪い業者さらに他府県業者が新たに申し込んで来ても排除できるのと違いますか。」と泉大津市側の意見を述べ、暗に、田中土建の岡部らから出ている鉱滓置場を認めれば堺港湾事務所側も都合がよいのではないか。鉱滓置場を認めてやつてはどうか、とすすめ、その後、被告人は岡部を連れ、大阪府土木部港湾課へ赴いて、「何とかなりませんか。何とかしてやつて下さい。泉大津市としてはスラグ置場として使用させる事も良いと思います。」との意見を述べ、更に被告人らは島所長に対し、「何とか鉱滓置場を認めて欲しい。」と再三再四要望した。島所長は、事ここに至つて、被告人らの要望を建前論だけで拒否すれば、大阪府と泉大津市の事前協議等の窓口であり港湾行政事務の主担者である被告人が同様建前論で移転問題にも反対して来て、同問題が根底から覆えることにもなりかねないことをおそれ、この際修景厚生港区内に鉱滓置場の設置を認めようと決断し、昭和五五年三月一九日港湾課と協議し、暫定使用ということで同課の承諾を得た。つまり鉱滓四社を堺泉北港湾砂利石材協同組合の一部門とみて、同組合に貸し付ける土地を修景厚生港区にまで拡大するということと、あくまでも暫定使用ということ、他方大阪府としては修景厚生港区の変更を将来働きかけるといつた前提で、昭和五五年七月一日、泉大津市汐見町一万四、七七九平方メートルを鉱滓置場として、昭和五五年七月一日から同五六年三月三一日まで南部スラグ販売組合に対し使用の許可を与えた。もつとも、堺泉北港湾砂利石材協同組合も南部スラグ販売組合も移転工事等が遅れ、本来の目的に使用され出したのは昭和五六年三月ごろであつた。島所長が以上のように堺泉北港湾砂利石材協同組合内南部スラグ販売組合に対し修景厚生港区内での鉱滓置場使用の許可を与えたのは、被告人らの執ような要望に屈した結果であり、本来港湾法で規制され、許可できない修景厚生港区内の指定構築物外である鉱滓置場の使用許可が下りたものであること、鉱滓置場は、その後昭和五六年四月一日、同五七年四月一日、同五八年四月一日に使用許可が更新されているが、その際被告人が堺港湾事務所港営課員らに対し何らかの意見表明をした事跡は認められないこと、(以上、原判示第一の四関係)

(5)  葦原運輸機工株式会社代表取締役の左崎充は、昭和五六年に至つて、新たに韓国から安い鋼材を輸入して販売することをもくろみ、泉大津市内の汐見埠頭に輸入した鋼材を保管するための倉庫建設を計画し、同五六年五月ころ泉大津市内の地元業者である赤井博と接触して、同人に株式会社田中設計第二事務所代表取締役の田中正勝を紹介してもらつて、同年六月ころ、田中に倉庫の設計、諸手続を依頼し、同年七月ころ赤井、田中らの紹介で被告人と知り合い、被告人に倉庫建設についての協力方を依頼した。ところで、民間倉庫を府有地に建設する以上、民間業者がその府有地を半永久的に使用することになるので、倉庫建設については大阪府土木部港湾課が主体になつて検討したうえ、さらに堺港湾事務所の使用許可を受けなければならないのであるが、地元泉大津市としても、地元の倉庫業者との関係で問題がないかどうか、大きな倉庫ができるということで行政上問題がないかどうか、大きな利害関係が出て来るので、港湾課や、堺港湾事務所に泉大津市の立場から意見具申をし、それに伴い業者から事業内容を聞いて助言したりしていたことから、左崎社長の依頼というのは、そのような意見具申等に関して倉庫建設ができるよう、泉大津市として協力してほしいという意味であつたので、泉大津市としては、原則的にいえば、産業振興の面からいつて大きな倉庫が地元にでき、大量の鋼材が流れるようになればプラスになると考え、また地元の倉庫業者との利害調整の問題についてはすでに有力者の藤井倉庫株式会社の代表取締役藤井武男や泉州物流倉庫の赤井理事長が左崎社長と一緒に行動していたので、この点も問題はないと判断し、昭和五七年五月ころ、被告人は府港湾課へ赴き、田村晃一港営係長や吉村源逸港湾課長らに対し、「葦原運輸という会社が鋼材の取扱い場所として汐見埠頭が適地であるので使用したいと言つて来ている。計画の概要から泉大津市としても好ましい事業であると考えているので、よく考えてやつて欲しい。こちらへこさせるから、概要を聞いてやつて欲しい。」などと依頼したところ、田村係長らは「関係者が来たら、よく話を聞いて、前向きの姿勢で臨みます。」との返事があつたこと、このように、あらかじめ根回しをしたうえで被告人は左崎社長及び田中社長には、港湾課へ行くときには、具体的な計画を説明できるよう、また、貨物量、配船計画及び浦項製鉄所の内容等についても聞かれた際には、説明ができるよう準備しておくように助言し、同年六月ころ、港湾課へ左崎社長と田中社長を説明に行かせたところ、田村港営係長は被告人から事前に頼まれていたので、右両名から事業概要を聴取したうえ、両名に対し、「民間上屋用地の賃貸は公募により選定して借地させる。募集時期については検討したい。現時点では葦原に決めるわけにはいかないが、計画は進めてもらつてよい。」と述べたうえ、建設業者の決定は選考基準を点数制によつて算定して行うことや選考基準の項目について説明し、その後、被告人も泉大津市の港湾行政の関係で大阪府港湾課へ行つた際には、担当の港営係長や港湾課長に対し、「葦原運輸の方よろしく頼む。」と声を掛けていたこと、さらに、昭和五七年八月中旬ころ、被告人は右の件についてはいずれ港湾課から堺港湾事務所に協議があるはずであるから、あらかじめ手を打つておこうと考え、堺港湾事務所の大門港営課長に対し「葦原運輸が汐見埠頭で倉庫を建設する予定だが、説明にやらせるから、よろしく頼む。泉大津市としては良い事業だと思つている。」と電話し、そのあと左崎社長と田中社長を堺港湾事務所に行かせ、両名が所長を始め担当の係に事業計画を説明して、「借地の際はよろしくお願いします。」と依頼したところ、所長らから「前向きに検討する。」との返事を得、その後、昭和五七年九月ころ、被告人は再度府港湾課の田村港営係長に対し「葦原運輸が汐見埠頭で倉庫業をしたい計画を持つている。地元市としても内容を聞いてみたら韓国から輸入鋼材を大量に扱うように聞いている。地元市としても、いい話だと思うので、葦原を中心とした方向で公募を願いたい。地元市としては港湾の発展につながるし、地元の発展にもつながるので、葦原の話を聞いてほしい。」などと葦原運輸機工株式会社の計画や意向を汲んで民間上屋建設用地の汐見埠頭上屋敷面積三万九、〇〇〇平方メートルを葦原運輸機工株式会社に使用許可を与える方向で配慮されたいと要望し、これに対して同係長も積極的に取り組む姿勢を示し、同年一〇月一日ころ、被告人の要望について港湾課の吉村課長、寺西参事、松井課長代理に報告し、吉村課長、寺西参事から「公募時期には来ている、今後は積極的に取り組んでいつてはどうか。」などと指示されたので、港湾課稲葉工事係長に上屋敷の整地整備を依頼するなど、地元泉大津市の意向を代弁する被告人らからの働き掛けがあつたので、港湾課の体制が積極化したこと、かくて、昭和五七年一〇月七日、田村港営係長は堺港湾事務所大門港営課長に対し、葦原運輸機工株式会社の意向と港湾課が同会社を意識して取り組んでいる旨を伝えるとともに、公募団地の現地を見ておいてくれるように要望し、同年一一月八日、吉村港湾課長、寺西参事、田村港営係長は昭和五八年度早々に公募を計画する旨決定し、昭和五八年三月二八日、港湾課では、堺泉北港小松・汐見公共埠頭内民間上屋倉庫建設者募集要綱を策定し、同年四月四日大阪府知事岸昌名義で、民間上屋建設用地として、これまで葦原運輸機工株式会社が要望してきた汐見町一〇七番地及び一一〇番地の附属用地面積三九、〇〇〇平方メートルの公募公告がなされ、これに応募した葦原運輸機工株式会社外一社につき府港湾課において各社から提出された資料に基づいて調査の結果、葦原運輸機工株式会社に高点をつけて選考表を作成し、大阪府公共埠頭運営協議会は同年五月二七日、右選考表のとおり、汐見埠頭の用地については葦原運輸機工株式会社を建設業者と決定し、同年六月一日、大阪府知事岸昌名義で葦原運輸機工株式会社宛に右決定通知書を交付し、同会社は同年六月三〇日堺港湾事務所に前記汐見埠頭附属用地につき使用許可申請書を提出したこと、(以上、原判示第一の五関係)

(6)  藤井武男が代表取締役をつとめる泉大津共同倉庫株式会社は、同じく藤井が名目上の代表取締役の地位にある藤井倉庫株式会社、上田倉庫株式会社、寺田倉庫株式会社、南海通運株式会社、南海倉庫株式会社が共同出資してつくつた従業員二〇名位の会社である。なお倉庫会社であるから勿論倉庫業の免許を持つているが、岸壁で荷役をする関係で近畿海運局から港湾荷役等四種免許すなわち港湾運送事業法四条により業務の地域範囲が限定されるもので、沿岸荷役をする場合、「泉大津市臨海二丁目一番地一号岸壁、新港町三番地六号の一物揚場に接岸するものに限る」(いわゆる松之浜埠頭と小松埠頭)となつている。株式会社片山鉄工所(大阪市大正区南恩加島六丁目二番二一号所在)では本四架橋工事のうち鳴門、淡路ルートである門崎高架橋工事を請負い、昭和五五年春ころ下請の浪速通運株式会社(大阪市浪速区幸町一丁目一一の五所在)に橋梁の組立てのための用地確保を依頼し、同会社常務取締役竹内清祐は、同五六年四月藤井に対し泉大津共同倉庫株式会社名義で堺泉北港の上屋敷の使用許可を受けて、その用地を確保してくれるように依頼した。藤井は昭和四一年ころ、被告人と知り合い、飲食をともにするなどして親密な間柄にあつたものであるが、右竹内から依頼を受けて、その旨被告人に相談し、被告人は本四架橋の橋梁といえば公共性もあり、土地さえ空いてあれば大阪府に頼むと何とかなるように思い、泉大津市としては地元産業の振興を図るという観点での行政も実施していたので、泉大津共同倉庫株式会社がこの橋梁組立に関与して何らかの仕事が得られるなら、良い事だと判断し、昭和五六年五、六月ころ堺港湾事務所の島昭所長、武富雄港営課長、望月正夫埠頭係長らに泉大津共同倉庫、片山鉄工所、浪速通運の三社のジヨイントで泉大津市の埠頭を貸してくれと言つている、本四架橋の橋梁の組立のようでもあるから、貸してやつてくれ、泉大津市としては異存はないと電話や直接行つた時に依頼したところ、前向きに検討すると言われた。また、被告人は堺港湾事務所の上級官庁である大阪府土木部港湾課へ行つた時にも、当時の港営係長であつた大門喜八郎にも同じ事を頼み、「地元市としてはやらしてあげたいと思つているので、よろしく頼む。」と言つたところ、同人から「堺港湾事務所にも声をかけといてやる。」と言つてくれた。その当時一〇月ころまでの間、片山鉄工所等の関係者が何回も泉大津市の被告人のところへ来て工事内容を説明していたので、被告人も適宜堺港湾事務所に連絡して、その内容を伝え、問題ないと思うから泉大津共同倉庫に使用許可を出してくれと依頼していた。被告人は九月中頃には、堺港湾事務所の応待ぶりから、泉大津市内の汐見埠頭か助松埠頭か、どちらになるかは別として、どちらかで借用できる感触を得たので、藤井に対し何とか借入れはできそうだから、計画書は作つておくように伝えた。その後、昭和五六年一〇月一九日から同年一二月二五日までの間、前後五回にわたり、堺港湾事務所、関係業者らを主体として本四連絡橋打合せ会(ヒヤリング)が開催され、被告人は第一回にのみ出席し、その席上、「泉大津市としては関係業者らの工事そのものには異存がない。」旨発言し、昭和五七年一月二五日泉大津市小津島町助松埠頭上屋敷一万二〇〇〇平方メートルについて泉大津共同倉庫株式会社に使用許可されたこと、(以上、原判示第一の六関係)

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、刑法一九七条にいう「公務員ノ職務ニ関シ」というのは、公務員が法令上管掌する職務のみならず、その職務に密接な関係を有するいわば準職務行為又は事実上所管する職務行為に関する場合も含むものと解するのを相当とするところ、以上に認定の事実関係に基づき、本件についてこれをみるに、泉大津市市長公室内の港湾対策事務所長及び同市長公室次長としての被告人が、関係業者から泉大津市域内の港湾施設の使用や民間上屋の建設等について相談を受け、その使用許可の申請等に関し、右港湾施設の使用許可権限を有する大阪府堺港湾事務所長や、これを補佐する同事務所職員又は民間上屋の建設業者決定の権限を持つ大阪府知事を補佐する大阪府土木部港湾課職員に対し、右業者に対して有利な取りはからい方を要望ないし意見を具申する行為は、前記(一)に認定の被告人の法令上管掌する職務行為そのものではないが、前記認定の事実によれば、泉大津市では、同市の発展等のため、同市域内の堺泉北港の開港当初から、港湾施設の使用等については、許可等の権限を有する府の機関に対し要望ないし意見を具申して来ており、右府の機関においても、地元市の要望ないし意見として尊重し、使用許可等の判断に重大な影響を及ぼして来たものであることが認められるから、右被告人の要望ないし意見具申行為は、被告人の前記法令上管掌する固有の職務に由来し、右職務に密接な関係を持ち、かつ、それ自体公務としての性格を有する準職務行為ないし事実上所管する職務行為と認めるのが相当であつて、許可等の権限を有する者との個人的関係に由来する私人としての要望ないし意見具申行為とはその性格を異にするものである。そして、右のような被告人の職務に関して、被告人が賄賂を収受すれば、収賄罪が成立するものといわなければならない。

所論は、大審院及び最高裁判所の職務に密接な関係を有する行為に関する判例を解析帰納し、本来他の機関の権限に専属する事項について、その権限を有する者から、委託もしくは委任を受けた場合においては、その範囲において、本来権限のない公務員が行う行為は、右委任もしくは委託に法令上の根拠がなくとも、一定期間定型的かつ継続的に慣習もしくは慣行として行われて来、しかも、それを特に違法と評価すべき理由がない場合は、これを委任もしくは委託を受けた者の本来の職務に密接な関係を有する行為と認めることができるが、他の機関の権限に属する事項について、単にその決定を左右しようとする行為は、公務員の職務もしくはこれに密接な関連を有する行為とは認められないとし、本件においては、港湾施設の使用許可の権限は大阪府知事又はその権限の委任を受けた堺港湾事務所長にあるものであるが、右権限者から泉大津市あるいは泉大津港湾事務所に対し右使用許可にあたり、予めその適否を諮問し、あるいは、意見を述べるよう委任あるいは委託をしたという事実がなく、また泉大津市域内の堺泉北港の港湾施設の使用許可にあたり、大阪府知事又は堺港湾事務所長において必ず泉大津市の意見を聞くという慣習ないしは慣行はなかつたから、被告人の前記意見具申行為等を目して職務に密接な関係を有する行為ということはできないというのである。

しかしながら、本件における被告人の府の機関に対する要望ないし意見具申行為が被告人の本来の職務に密接に関係を有する行為であるというためには、所論の権限を有する府の機関から意見具申の委任ないし委託のあつたことや、必ず泉大津市の意見を聞くという慣習ないし慣行のあつたことまでは必要とはいえないから、所論は採用し難い。

所論は、また、原判決は、泉大津市の要望や意見具申行為が、府の使用許可の認否に極めて重要な影響を与えるものであつたというが、このことは職務の密接性とは本来関係がない問題であるというのである。

しかしながら、市の公務員が、自己の所管事務に関し、府の機関に要望や意見具申をして、本来的には府の機関の持つ職務権限に干渉する場合、それらの意見は所管事務に基づく実情を踏まえた意見として事実上尊重され、当該事項について決定権を有する府の機関の職務の執行自体を左右しかねないほどの極めて重要な影響力を有する場合も少なくなく、したがつて、自己に有利な職務執行を得ようとする者は、この間の事情をわきまえ、所管事務に基づいて意見具申等をする市の公務員に接近し、有利な意見具申がなされるよう働きかけることがあるから、市の公務員の要望や意見具申行為が府の機関の使用許否の認否に極めて重要な影響があるということは、職務の密接性に関係のあることというべきである。所論は採用し難い。

その他、検討しても、原判決には所論のような法令適用の誤りはないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(事実誤認の主張について)

論旨は原判決は、被告人の職務密接関連行為を認定するに至つた根拠となる五個の間接事実を認定したうえ、同行為を裏付ける主要事実として、「泉大津市域内の港湾施設の使用許可権限を有する大阪府知事(又は堺港湾事務所長)においては、原則として、何らかの方法で同市の意見を聞き、それをできうる限り尊重する姿勢であつた」旨認定しているが、右認定は誤りであり、同市は極めて例外的な場合に救急対策等の見地から事前に意見を求められたり、業者説得の依頼を受けたりした事実はあるが、すべての港湾施設の使用許可について、原則として同市の意見を求めたという事実はなく、大阪府が港湾施設の使用許可をする場合は同府独自の判断でこれを行つていたものであり、また「泉大津市の意見具申や要望は右使用許可の認否に極めて重要な影響を与えるものであつた」という原判決の事実認定は誤りであり、従つて原判決の右事実認定には事実誤認のかどがあり、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ検討するのに、関係証拠を検討すると、泉大津市域内の港湾施設の使用許可権限を有する堺港湾事務所長において、原則として何らかの方法で積極的に同市の意見を聞くという内部システムが確立されていたとまで認定することはできないが、右証拠によれば、許可申請事案の性質や重大性、業者間の公平・泉大津市の既存の商工業の発展に貢献できるかどうかという観点から泉大津市において港湾対策事務所又は市長公室で事前指導・調整をした上、必要な案件について、口頭又は電話で大阪府堺港湾事務所長又は府土木部港営課担当職員に被告人が適宜意見具申ないし要望していたこと、被告人は、その経歴や専門的知識が極めて豊富であることから、泉大津市における港湾行政の第一人者と自他共に目され、港湾行政の一切について事実上上司から任され、かつ、昭和四七、八年頃倉庫業者や荷役業者等、港湾関係業者らが集まつてつくつた泉大津振興会(会長は泉大津市長)の事務局長に就任し、泉大津港湾振興会処務規程第三条2会員の加入、脱退及び連絡に関すること、7関係機関等に対する連絡調整及び申請、届出、報告、建議、陳情に関すること等の事務を分掌し、(なお港湾施設の使用の事実上の資格として泉大津振興会員であることが慣行化していた。)課長職に相当する港湾対策事務所長当時はもとより、市長公室次長(市長公室長は部長職)当時、堺泉大津市側の代理者として堺港湾事務所長や大阪府土木部港湾課(昭和五九年四月一日大阪府港湾局処務規程昭和五九年三月三一日大阪府訓令第一〇号附則二項により廃止)課員に自由に意見要望等を受発し、堺港湾事務所長らも、地元泉大津市側の意見要望は港湾行政の円滑な推進という見地から最大限に尊重し、事実上被告人が泉大津市側の意見として表明するところに逆らつて港湾施設の許可を含めて一般的に港湾行政を実施することは非常に困難であつたこと、そのため、控訴趣意第一点で認定したように、厳密な解釈をすれば港湾運送事業法四条(免許資格)違反や大阪府港湾施設条例三条違反(名義貸し又は又貸し)が成立するような場合の許可申請も、被告人の持つ重大な影響力に押されて、便宜的解釈の下に許可せざるを得なかつたこと、これに加えて、事務局長である被告人の了承を得て泉大津港湾振興会の会員とならなければ、事実上堺泉北港の港湾施設を使用することは困難であるため、申請業者は被告人の事前指導を受け入れ、同人に取り入るようにつとめていたことが認められ、右認定に反する原審証人大門喜八郎及び当審証人望月正夫の各証言中右認定に一部抵触する部分、原、当審における被告人の供述中右認定に一部沿わない部分は前示証拠と対比して措信できない。そして、右認定の事実関係によれば、原判決の認定事実中大阪府知事又堺港湾事務所長において、原則として泉大津市の意見を聞いて港湾施設の使用許可権限を行使していたという部分は事実を誤つて認定しているけれども、右に認定の事実関係からして、その誤りは判決に影響を及ぼさないものというべきである。その他記録を検討し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認のかどはない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(量刑不当の主張について)

論旨は、被告人に対する量刑不当を主張するのであるが、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討すると、本件は泉大津市市長公室港湾対策事務所長又は同公室次長という枢要な地位にあつた被告人が、特定重要港湾である堺泉北港の港湾施設の使用許可権限を有する堺港湾事務所長ら及び民間上屋の建設者の選定決定権限を有する大阪府知事の補助担当課である大阪府土木部管理課職員に対し民間業者らから依頼を受けて自己の有する影響力を利用して右許可が下りるよう働きかけ、地元泉大津市として積極の意見具申等を行い、その対価として右業者らから昭和五六年二月中旬ころから同五八年六月一〇日ころまでの間、前後一五回にわたり合計五七〇万円の収賄をし、他方同年八月八日ころ関連業者二名と共謀のうえ大阪府堺港湾事務所次長に対し三〇万円の贈賄をしたという事案であるところ、被告人の経歴、地位、職務内容及び各犯行の罪質、態様、犯行回数受供与及び供与金額の高額なことなど、殊に自ら暗に賄賂を要求する行為も認められ、港湾行政運用の公正に対する国民の信頼を損なうこと著しいものがあり、取得した金員も主として遊興飲食に費消していること、他方贈賄の点も関連業者に出捐させ、自らは、そのうちから一〇万円も利得していること、乱脈な生活態度、その他記録にあらわれた諸般の事情を併せ考えると、犯情は極めて悪質であつて、その刑責は軽視し難く、被告人が供与を受けた金員はひとり同人自身の遊興飲食のみに費消されたものではなく、他の公務員も被告人にたかつていたものであろうことがうかがわれることなど、所論指摘の被告人に有利な事情のほか、被告人には前科がなく、妻は病弱であり、昭和五八年一二月二六日付で免職され、社会的制裁を十分受けていることなどをしん酌しても、原判決の量刑が不当に重過ぎるとは考えられないから、論旨は理由がない。(なお、原判決の「証拠の標目」判示第一の四の各事実について掲記してある各証拠中、望月正夫((同月一七日付のもの))の司法警察員に対する供述調書とあるのは、検察官請求証拠番号26の大門喜八郎((同月一七日付のもの))の司法警察員に対する供述調書の誤記であると認める。)

よつて、刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 尾鼻輝次 木村幸男 近藤道夫)

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